みなさんは、猿渡瞳さんを知っていますか?
2005年の24時間テレビにとりあげられた少女です。
小学校6年生の時に、大腿骨骨肉腫という骨のガンが見つかり、闘病生活に入ります。入院生活の中、亡くなっていく人を見て、瞳さんは「命」について真剣に向き合います。
懸命に生きようとする瞳さん。彼女は、中学校の弁論大会で「命を見つめて」というタイトルで、自分の思いを語りました。そして、弁論大会から2か月半後に13歳という若さで息を引き取りました。
猿渡瞳さんのことを知ってから、すぐにこの本を購入しました。涙無くしては読めません…。
猿渡瞳さんを知ったきっかけ
猿渡瞳さんを知ったきっかけは、ある小学校の研究発表大会で行われていた道徳の授業を見たことです。6年生で行われていた道徳の授業の題材が、猿渡瞳さんについてでした。
子どもたちはもちろん、参観者も題材に引き込まれていました。
この日、さまざまな授業を見たのですが、この猿渡瞳さんを題材にした道徳の授業のインパクトが大きすぎて、他の授業はほとんど覚えていません(笑)。
それくらいインパクトがありました。
子どもたちに考えさせたい、猿渡瞳さんの生き方
この授業を見た後、すぐに「いのちの作文」という本を購入しました。猿渡瞳さんについて詳しく知りたかったからです。本を読んだ後、参観した授業の指導案をベースに、自分なりにアレンジして実践しました。
本の中で「子どもたちに考えさせたい!」と思った部分を紹介します。
わたしが、がんでよかった
「わたしが、がんでよかった。ほんと、ママが、がんじゃなくてよかった。ママが、がんになったら、わたし、つらくて、生きていけなくなってしまう」
「いのちの作文」本文より
母からがんを告知された瞳さん。一人になってひとしきり泣いた後、上記のことを母に言いました。瞳さんはどうしてこんなことを言えたのでしょう。
瞳さんが骨肉腫と診断されたのは、小学6年生の時。子どもたちに「もし自分ががんだと知ったら、何て言う?」と聞いた時、以下のような意見がほとんどでした。
- どうして私が。信じられない。
- まだ死にたくないよ。
- がんばってがんを治すしかない。
瞳さんのような考えは出ません。ここで、「わたしが、がんでよかった。」と言った瞳さんの人柄を考えることで、この後の瞳さんの行動に共感できるようになっていくのです。
白血球VSがん親分 白血球の勝ち!!
がん親分が、白血球にやっつけられている絵をかいて、それを病室のベッドの上のかべにはりました。そして、瞳ちゃんは、白血球をあげる注射をうってもらいました。
本文より
瞳さんは絵をかくのが得意でした。闘病中、瞳さんは周りが驚くほど明るさを保っていました。そして、同じ病院に入院する小さな子どもたちを励まし続けました。
ママ、生きつづけるって……、たいへんなことなんだね
「ママ、生きつづけるって……、たいへんなことなんだね。」
泣くだけ泣いた瞳ちゃんは、おなかからしぼりだすような声でいって、お母さんを見つめました。
「でも、わたし、負けないからね。亜紀ちゃんのぶんも、生きてみせるから」
本文より
瞳さんと同じく病気と闘っていた、一つ年下の亜紀ちゃんが亡くなったことを知らされた時の瞳さんの様子です。
「生きつづけるって……、たいへんなことなんだね。」という言葉を子どもたちに考えさせたいものです。
わたしがつたえたいことは、これじゃない。
(わたしがつたえたいことは、これじゃない。もっともっと、いいたいことがあるのよ)
原稿用紙をやぶりすてては、じっと考えこみました。そんな日が、いくつもつづきました。
本文より
市の弁論大会に出場することになった瞳さん。自分の言いたいことを5分でまとめなければならないのに、なかなかまとまらず、弁論大会当日の朝まで、命を注いで考えました。
瞳さんの弁論大会の音声が公開されています。
私は、授業の最後にこれを見せました。子どもたちは真剣に考え、中には泣いている子もいました。
瞳さんは入賞するのですが、残念ながらその結果を知ることなく、天にかえっていきました。
授業でなくても、猿渡瞳さんという人物を教えてあげたい
猿渡瞳さんを題材にした道徳の授業実践は、全国いろんなところで行われているようです。ネットで検索すれば、指導案がいくつも出てきます。それくらい、全国の先生方の心を動かしているのだと思います。
授業の準備するのは大変だという先生。ぜひ猿渡瞳さんという人物について調べてみてください。きっと心をうつと思います。そして、瞳さんの生き方について、子どもたちに語りたくなると思います。