近年、教員の働き方が問題視されて、さまざまなメディアが取り上げてくれています。教員の働き方が改善されていくのはとても喜ばしいことですが、そもそも昔はどんな労働環境だったのでしょう。
私、ぴーちょこも20年ほど前は新任として奮闘していました。無我夢中で働いていたので、忙しかったのか、どんな労働環境だったのか、あまり気にすることなく過ぎてきました。
そこで、今更ながら私の教員生活20年ほどを振り返り、教員の働き方・労働環境はどんな変化があったのか、まとめてみたいと思います。
ただ、私個人とその周りからわかることでまとめていきますので、全国どこでも当てはまるわけではないと思います。それでも、基本的なところはそんなに変わらないと思いますので、参考にしていただければ幸いです。
20年でも結構いろいろ変化を感じるよ!
教員の年齢構成が全然違う!
まずは、下の図を見てください。「PRESIDENT Online」に掲載されていた図です。
私が採用された2000年ごろは、図でわかるように競争率がとても高く、「教員になりたければ、何回か採用試験を受けることを覚悟しろ」と言われたものでした。
採用されても、希望する勤務地(つまり現住所の近く)になるかどうかわからないとも言われていました。
採用されて初めて勤務した学校で最初に言われたのは、「久しぶりに新任が来た!」という言葉でした。つまり、採用数が少ないので、滅多に新任教員が来ないということです。
ちなみに、初任校は職員数が30人程度でしたが、私の次に若い先生が20代後半、次に若い先生は38歳でした。
ということで、2000年ごろのメリット・デメリットを挙げます。
しかし、2000年を超えると急激に競争倍率が下がりはじめます。これはご存知の通り、団塊世代が退職することによって、採用人数がどんどん増えたことによります。
ですから、私にも一気に後輩ができました。新任が1人でも来たら珍しいと言われていたのに、毎年新任がくることが珍しくなくなりました。職員数が多い学校では、新任が2人というのも珍しくなくなりました。
しかし、若手が増えるということは、メリットもデメリットもあります。私が感じたのは、以下のようなことです。
採用されてから6年目で学年主任になる先生もいました。学年担任全員が20代という学年でした。
たくさん退職してたくさん採用されれば、当然年齢構成はいびつな形になります。中途採用があるとはいえ、やはり採用人数が少なかった頃の年代は少ないです。
私のような40代の教員は、人数が少ない年代です。そのため、どんなことが起きているかというと、「同世代の多くの先生が管理職にならざるをえない」という状況になっています。
公立学校の人事は、まだまだ年功序列の面が多く残っているように感じます。もちろん、若くして出世していく先生もいますし、管理職にならず退職を迎える先生もいます。しかし、基本的に年齢とともに役職が上がっているのが現状です。
そのため、人数が少ない世代はどうしても管理職になる割合が高くなってしまいます。
まとめ
・この20年で、団塊の世代が退職し、若い世代がどんどん採用された!
校務のデジタル化が進んできた!(企業より遅れているけど)
私が採用された2000年ごろの状況は、今と比べると信じられない環境です。とにかく手書きが多かった!
Windows Meの時代でした。懐かしいですね。
さて、どんな状況だったか挙げていきます。
通知表は手書き
通知表はもちろん手書きでした。なんと、通知表のための下書きすら手書きでした。所見文は手書き、評価の項目は◎や〇、△などのゴム印を押します。そのため、新任1年目は通知表用のゴム印を自前で購入しました。
通知表に手書きをすると、時々間違えてしまうことがあります。そうした場合に活躍するのが、砂消しゴムです。通称「砂ケシ」。
ベテランの先生は電動の砂ケシを持っており、通知表作成シーズンになると、「ブーン」という電動音が職員室のいたるところから聞こえたものでした。
学校のPCは3台
職員室の学校用パソコンは3台しかありませんでした。タワー型のデスクトップパソコンです。
必要な人は、自分で持ち込んだノートパソコンを使用していました。セキュリティが厳しい今の時代からすると、信じられないことです。
さて、職員室には3台しかなかったのに、あまり不便だとは感じませんでした。なぜなら、さまざまな書類が手書き作成のため、パソコンを使わなければならない仕事が少なかったからです。
手書きで作成する書類
・通知表
・出席簿
・給食実施簿
・週案簿 など
思い出すと、パソコンを使用していたのは、
・学習指導案を作るとき
・学年通信や学級通信を作るとき
くらいです。だから、パソコンを必要とする場面はあまりありませんでした。
記録メディアも、当時はフロッピーディスクで十分でした。フロッピーの容量は2HDで1.44MBでしたが、これで文書ファイルをいくつか入れることができました。
でも、フロッピーディスクでは物足りない人はMOディスクを使っていました。
当時、すごくあこがれたけど、結局購入することはありませんでした。
手書きの書類が多かったので、学校用のパソコンが少なくても何とかなっていたのですが、今から手書きの時代に戻れと言われたらひっくり返りそうです。
インターネットの調べ学習が難しかった!
インターネットの調べ学習が難しかった理由。それは単純です。
みんなで一気にネットにつなぐと表示されないから
そのため、何人かで1台を調べ学習用に使用したものです。また、「インターネットニンジャ」というソフトを使って、ホームページのデータを取り込んで使用していた先生もいました。
とにかく、当時はパソコンのスペックは低いし、ネット環境は今のように高速ではないし、快適にネットでの調べ学習ができる環境ではありませんでした。
パソコンを使った授業でよくやっていたのは、低学年ならお絵かきソフト、高学年ならタイピングゲームでした。
デジカメは普及途中
デジカメはありましたが、画素数は低い、バッテリーのもちは悪い、サイズが大きいなど、今と比べると使い勝手はよくありませんでした。
台数もたくさんあったわけではないので、使用するときは「使用簿」に名前を書いて使用していました。
当然、子どもたちに貸し出すことなんてできないので、修学旅行は使い捨てカメラをグループに持たせたものでした。
今の子どもたちは、使い捨てカメラの使い方がわからないという子が多いです。だって、さわったことがない子ばかりですからね。
部活動に力を入れる先生が多かった!(ように思う)
今は、教員の働き方改革やブラック部活などが話題に挙がっているので、練習時間そのものが縮小されています。
しかし、20年くらい前は、部活動に力を入れる先生が多かったように思います。土日練習は当たり前、練習時間も午前、午後と一日練習を行う先生も珍しくありませんでした。
もちろん、私は部活動のやりすぎに反対です!
極端な先生になると、本業は専門教科を教えることなのか、部活動なのかわからなくなっている先生がいました。つまり、授業よりも部活動なのです。
部活動に熱心な先生が、新入生で運動神経がよさそうな子を直接勧誘するなんてことがあり、校内でちょっと問題になったことがありました。
しかし、最近は部活動に熱が入りすぎる先生は少数派になりました。子どもたちも、部活にすべてを捧げるというタイプの子は減ってきたように思います。
勤務時間を意識するようになった
勤務時間を意識するようになったのは、管理職も平教員もいっしょです。
私が教員になったころは、出勤簿に毎日印を押すという作業がありました。つまり、出勤したことは押印でわかりますが、何時から何時まで勤務していたかはわかりません。
当時の自分は、恥ずかしながら教員の勤務時間を知りませんでした。朝の打ち合わせが始まる時間と、夕方に行わわれる打ち合わせの時間を覚えているだけで、正確な勤務時間を知らなかったのです。
勤務時間の話を管理職から聞いた覚えはありませんし、勤務時間を話題にする先生も周りにはいませんでした。
それがだんだん変化していきました。勤務時間を調べるようになったのです。
管理職も、夕方に行われる校内での会議が勤務時間を超えないように配慮するようになりました。もし超える場合は、途中で打ち切るようになりました。
また、平教員も勤務時間の意識をもつようになり、勤務時間を超えての会議や行事について指摘する先生も見られるようになりました。
勤務時間を意識するようになったのは、よい流れだと思います。教員だって一人の労働者ですから、給特法による定額働かせ放題はダメです!
以上、私が採用された2000年ごろから2020年ごろまでの20年間の変化についてまとめてきました。
労働環境については、昔よりよくなってきていると感じます。しかし、その一方で学習指導要領が変更されるたびに、「〇〇教育」のような新しいことが導入されるため、かえって教員は多忙になっているように感じます。
もっと教員が働きやすい環境になって、もっと魅力的な職業となって、優秀な人材が入ってくることを願っています。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。